トゥワル ストレイア 8

「俺はな、おまえが天狗になるのが怖かったんだ」
 カインシェッセはまっすぐにシグマを見詰めた。
 昔の自分に生き写しの息子を。
「生まれた時から『伝説の勇者の息子』と周りにもてはやされて」
 シグマは父親の銀の瞳を見つめた。自分の瞳も銀になっている事はまだ知らない。
「……だからおまえの魔力を封じた」
「なっ!?」
 声を上げたのはサッシャだった。
 シグマとカインシェッセ以外は椅子に腰掛けてる。
 親子に振り向かれて、少女は頬を染め、首をすくめた。横でザガルが小さく笑う。それをネスファーが横目で睨んだ。
「どうして?」
 サッシャの疑問をシグマが尋ねた。
「『伝説の勇者の息子』だって、魔力がなければ『ただの子供』だ」
 カインシェッセはあっさりと答えた。
「ラウナ――母さんも納得してくれたしな」
「私たちも賛成したんだ」
 ネスファーがすまなそうに口をはさむ。ザガルが顎を手の平にのせて続ける。
「ずいぶん嫌な思いをさせちまったみたいだったがな」
 シグマは二人を見た。その頭をカインシェッセが撫でる。
「髪と目が黒くなったのはそのせいだ。魔力が内に溜まってしまったのだからな」
 シグマは父を見つめた。
「俺のため?」
 カインシェッセは頷きはしなかった。
「結果的にはおまえにつらい思いばかりを強いる事になってしまった。おまえがパーティを出て一人で旅をすると言い出したときには俺は、自分を憎んだよ」
 その瞳に悲しい光が宿るのを見て、シグマは胸の詰まる思いをした。
「俺は悪い父親だった」
「そんな事……」
 否定しようとした息子に父親は首を振った。
「俺がしっかりしていれば、魔力など封じずとも、おまえはちゃんと育てられたはずなのに」
「どうして、途中でその封印を解こうとしなかったのですか?」
 サッシャが疑問を口にする。
 勇者は年若い娘に笑みを見せた。その笑い方はシグマに良く似ている。
「解くための呪文は、シグマが自ら口にしなければその効力を示さないようになっていたんだ」
「それが『トゥワル ストレイア』?」
 デュラウサに向かう直前にシグマが叫んだ言葉をサッシャが反芻する。カインシェッセは頷いた。
「『真の強さ』と言う意味だ」
 ネスファーが天井を仰ぎながら、口をきる。
「父親の名声に頼ることなく、人から敬われたいためでなく、ただ純粋に誰かを守るための強さを手に入れろ……と」
 シグマはネスファーを見つめ、それから父親を見つめた。
「それは呪文と言うよりも、父さんの願いだった?」
 静かに尋ねられ、カインシェッセは穏やかな笑みを湛えた。
 息子の頭を撫でる。
 シグマはじっとそれを受け入れた。
 しかし、カインシェッセはそれだけでは収まらなかった。
 再び息子を押し倒して抱きしめる。
「三年間、会いたくてたまらなかったぞ!」
 カインシェッセが明るい笑い声を上げる。
「父さん!」
 サッシャが見ているのに。シグマは顔を真っ赤に染めた。
 それを見て、ザガルとネスファーが立ち上がる。
「シグ! 俺たちだって会いたかったんだぞ!」
 そう言って、ザガルが親子の間に割って入ろうと飛び込む。
 ネスファーはサッシャに頭をさげた。
「騒がしい連中ですみません。私もザガルも子供はいませんから」
 サッシャは首を振った。
 優しい笑みでネスファーが穏やかに付け足す。
「ベッドでなくて良かったですね。きっと足が折れていましたよ」
 そして、自分も再会の喜びに加わった。
 サッシャは大人三人に抱きしめられて窒息しそうなシグマを見て、小さく笑った。

 その夜、サッシャは彼らのためにご馳走を振るった。
 ザガルが歓声を上げて、少女の頬に接吻する。慣れない事にサッシャはわずかに戸惑った。
 そのため、斜め後ろでザガルを睨んでいるシグマには気が付かなかった。
 ただネスファーとカインシェッセが笑いを堪えているのだけが目に入った。

 大人たちは酒も入り、すっかり出来上がって盛り上がっていた。
 子供二人が宴を抜け出した事など気にも留めない。
 たとえ気づいていたとしても、気づかない振りをするのが彼らの役目である。
 バルコニーに出て、シグマは大きくため息をついた。
「聞いたかい? あのデュラウサは父さんが起こしたって」
「ええ。あなたが寝ている間に聞いたわ」
 サッシャは小さく微笑んだ。
「あなたに会いたくて……。緊迫した事態を作って、あなたの封印が解けるように」
 シグマは手すりにもたれかかって首を振った。
「でもよりによってあんな化け物……」
「きっと伝説の勇者には大したことのない魔物だったのよ」
 シグマは唇を尖らせて、星空を仰いだ。
「シヤンの人たちを巻き込んで、いい迷惑だっただろ?」
「誰も傷つかなかったし、あなたの封印は解けたわ」
 サッシャが優しい声で告げる。
 シグマは小さく唇の端を上げた。
 心地よい夜風が二人の頬を撫でる。
「ねぇ」
 先に口を開いたのはサッシャだった。
「何?」
「私、あなたを見つけたとき運命だと思ったの」
「運命?」
 シグマが首を傾げる。
「シヤニィの始祖が再び私の前に蘇ったのかと思ったわ」
 そう言って少女は微笑んだ。
 シグマは手すりから身を離して、サッシャの髪に触れた。
「……ねぇ、巫女ってやめられないの?」
「どうして?」
 シグマはわずかに口ごもった。頬が淡い色を帯びる。
「……神様なんかやめて、俺にしなよ」
 サッシャはしばらく呆けたようにシグマの顔を見つめた。
 シグマは居心地悪く顔をそらした。
 やがてサッシャがシグマの頬に触れる。驚いて、シグマが少女を見つめる。
 巫女は悪戯そうな笑みを浮かべた。
「シャナラーは女神よ。……巫女は結婚は自由なの」
 青年の眉が大きく上がる。驚きの表情はすぐに喜びのそれへと変わった。
 少女の体を抱きしめる。
 サッシャは黙って腕をシグマの背にまわして、抱擁を受け入れた。
 二人は長い事そうしていた。
 やがてシグマがサッシャから身を離し、わずかに首を傾けた。
「『サッシャ』は巫女という意味だと言ったよね?」
「ええ」
 シグマは小さな声で囁いた。
「本当の名前を教えてよ」
 内緒話をするようなシグマにサッシャはくすくすと笑った。
「いいわ、あなたにだけよ」
 そう言って少女は背伸びをし、青年の耳元で囁いた。