トゥワル ストレイア 7

 ――忘れてはいけない。
 これが解放の言葉だ。

 シグマは勢いよく立ち上がった。
 首から鎖をはずす。
 そして剣をサッシャに渡した。
「気休めかもしれないけど。ないよりはいいから」
 そう言われて、サッシャはシグマの剣を受け取った。
「呪文、分かったの?」
 シグマは何も答えなかった。
 ただ、その瞳は穏やかな光を浮かべていた。
「ここに隠れていて」
 そう言って、シグマは木の陰から飛び出した。
「シグマ!」
 サッシャはその場で青年の名を呼んだ。しかしシグマは振り向かず、デュラウサに向かっていった。
 やっと姿を現した獲物にデュラウサが気づく。
 口に炎が集められる。
 シグマは銀の十字架を握り締めた。
 これが。
「解放の言葉だ!」
 十字架を握った腕を振り上げる。

 ――忘れてはいけない。
 おまえの心に真の強さを。

「トゥワル ストレイア!!」
 その瞬間、十字架が耳に聞こえないほどの高音を響かせ、激しく輝いた。
 光の輪が宙を走る。
 突然のことにデュラウサはわずかによろめいた。眩しさに目を閉じる。
 シグマは飛び上がり、さらにデュラウサの肩を蹴って空中に舞った。
 手にしたそれを両手で握り締め、思いっきりデュラウサの額にめがけてつき下ろした。
 手ごたえはあった。
 デュラウサから恐ろしい悲鳴が上がる。
 サッシャは思わず耳をふさいだ。
 黒い魔物の体が大きく揺らぐ。
 しばらく傾いだままでいたかと思うと、おもむろにデュラウサは倒れた。
 土煙が上がり、あたりを覆う。サッシャは目を凝らした。
「……シグマ!」
 長身の青年の影を見つけ、サッシャは木の陰から飛び出した。
 デュラウサは額から首までを貫かれて絶命していた。
 おびただしい紫の体液が地面を濡らしている。
 しかし少女の目はシグマに釘付けだった。
 シグマの黒い髪は、今は銀色だった。陽光を受けて美しく輝いている。
 そしてその手に握られた剣。
「……月神……」
 唖然として呟く。
 銀色に輝く、緩やかな弧を描いた巨大な刀身。柄に彫られた細かな細工。
 そして全体を覆う淡い光。
 それは英雄伝に聞いた伝説の勇者の魔法剣、「月神」の姿そのものだった。
「……シグマ!?」
 サッシャは驚いて悲鳴にも似た声を上げた。
 シグマはそのままの姿勢で傾き、地面に倒れた。同時に月神が元の十字架に戻る。
「シグマ!」
 デュラウサを仕留めたときに、どこか怪我でもしたのだろうか。巫女は傍に膝をついてシグマの顔に触れた。
 ふと、足音が聞こえた。しかも一人のものではない。三人ほどはいる。
 村には結界が張ってあって、誰も出て来れない筈だ。
「だれ?」
 サッシャは警戒心を持って振り返った。
 そして、大きく目を見開いた。
 複数の人間のうち、一人がその驚愕の対象だった。
「あなたは……!」

 ぼそぼそと話す声が、遠くで聞こえる。
 だが眠くて眠くて、シグマは動けなかった。
「……が……んだ。無茶をする」
「まったくだ。……まで、……んで。なぁ?」
「あ、私は……」
 男の声の後に続いて、サッシャの声がする。
(無事だったんだ……)
 シグマはぼんやりとその事を理解した。
「獅子は子を谷に突き落とすというだろう?」
 ひときわ明るく響いたその声を耳にして、シグマはものすごい勢いで飛び起きた。
「ほら、見ろ。おまえの声がデカイからシグが起きたじゃないか」
 複数の声の一人である男が、横の男の肩を小突く。
 小突かれた者はちらりと男を睨んだ。
 銀の瞳が光る。
「父さん!!」
「おぉ! 父の事を覚えていたか!」
 明るい声の持ち主は、さらに大きな声で歓声を上げた。そのまま、起き上がったシグマを押し倒す。
「可愛い奴め!!」
 そう言って、両の頬にかわるがわる接吻の雨を降らす。
「ちょっ、父さん!!」
 シグマは父親を押し返した。
 サッシャは唖然として親子の再会を見守った。
「伝説の勇者さまのイメージが台無しだよなぁ?」
 さきほど、シグマの父――カインシェッセを小突いた男が笑いを含んだ声で、サッシャに言う。男はがっしりした体つきで淡い金髪をしており、瞳は悪戯そうな水色をしている。
「こんな親ばかだとは思っていなかっただろう?」
 もう一人が横から付け足す。こちらは細身で落ち着いた茶髪に、思慮深そうな緑の瞳をしている。
 どちらもカインシェッセの仲間だった。
「覚えていたかって、別れたのは三年前じゃないか!」
 シグマが父を怒鳴りつける。
「なぁんて言い草だ。父はおまえに会えなくて寂しかったんだぞ」
 そう言ってカインシェッセはシグマを抱きしめた。
「こんなに大きくなって」
 声が懐かしむ響きを帯びると、シグマは体の力を抜き、父に素直に抱きしめられた。
 しかし父は陽気に笑って、殊勝な息子の頭をわしわしと掻きまわした。
「で、この頭はどうした? 染めたのか? ん?」
 言われて、シグマは自分の髪を掴んだ。中途半端な長さだが、銀色になっている事は分かった。父親と同じ色だ。
「……いや……、俺」
 返答に窮したシグマに、金髪の男が助け舟を出す。
「おい、シグ。だまされるなよ。仕組んだのはそのインチキ勇者だぜ?」
 横で茶髪の男が頷く。
 ようやくシグマは二人にも気がついたようだった。
「ザガル……、ネスファー……」
 友人の子に名を呼ばれて、二人は表情をぐっと緩めた。
「再開の喜びはあとでじっくり味合わせてもらうさ」
 ザガルが歯を見せて笑う。
「あぁ、それよりもおまえを騙し続けた父親に、事の真相を確かめたいだろう?」
 ネスファーはそう言うと、カインシェッセに人の悪い笑みを向けた。カインシェッセが大げさに肩をすくめた。
 シグマも父親を見上げる。
 伝説の勇者はこほんと咳をした。