手紙とトナカイ

 ごうごうと魔物のように風が吼えていた。果ての見えない闇に白い破片がどんどん吸い込まれていく。対して、地面はまるきり無言で、人家の灯りを受けて淡く焔の色を映していた。
 窓硝子にはそんな景色を陰鬱に見つめる自分が映っていた。赤い髪を三つ編みにして肩から胸に垂らした、特に目立つわけでもない女だ。
 ティルダは自身の姿から視線を外して、再び遠くを見つめた。村の外に見えるはずの針葉樹の森は闇の中に消えている。こんな吹雪の中、人が出歩いている様子などあるはずもなかった。もとより吹雪でなくとも、もう真夜中は近い。よほどの用事がなければ外に出ることはないだろう。
 彼女はため息をついてカーテンを閉めた。風の声が遠のくと、薪の燃える音が室内を満たす。
 クリスマスには手紙を送ると、彼はそう言った。
 この大雪だ。配達の足が断たれても仕方がない。
 窓に触れていたせいで冷たくなった手をさすりながら、ティルダは暖炉の側まで歩み寄った。ロッキングチェアに腰掛け、ショールを肩に羽織る。心地良い温かさが心を慰めてくれた。淡々と時を刻む柱時計の音が眠気を誘うようだ。
(こちらの手紙は届いたかしら)
 向こうは雪の多い土地ではないと聞いているから、おそらく大丈夫だろう。せめてこちらからの手紙が届いていると思えれば、少しは救われる。そう思うしかない。
(……仕事は忙しいのかしら、風邪をひいてはいないかしら)
 ああ、それを今日届く手紙で知るはずだったのに。
 誰が悪いわけでもないのだ。こうなる可能性があることも分かっていた。
 ティルダはもう一度ため息をついて目を伏せた。待っていたところで手紙が届くわけでもない。
 薪の燃える音に耳を傾ける。今、彼が温かくしていればそれでいい。そう祈る。

 風が扉を叩いている。こんこん、こんこん、と。
 のろのろと瞼を持ち上げる。眠っていたようだ。ティルダはかぶりを振った。
 再び扉が鳴る。ティルダは振り返って玄関を見つめた。叩いているのは本当に風なのか。規則正しく四回響いては間が空く。
 おおいという声が聞こえて、彼女は慌てて立ち上がった。風ではないなら人だろう。何をぼんやりしていたのか。
「すみません」
 扉を開けると冷たい風が叩き込んできた。寝入る前よりも風が巻いているようだ。片手で顔に当たる風を遮りながら、ティルダは相手を見た。そこに立っていたのは郵便配達員ではなかった――いや、一種の配達員ではあるか。
 サンタクロースだ。
 白い縁飾りのついた赤い防寒着に、揃いのデザインの帽子。彼は安堵した様子で、髭を蓄えたふくよかな顔を綻ばせた。
「夜分にすみませんね、お嬢さん」
「は、はあ」
 自分はもうサンタクロースからのプレゼントを受け取る歳ではない。ティルダはぱちくりとサンタクロースを見上げ、それから恰幅のいい体の背後に視線を移した。角のないトナカイが首を振って頭の雪を払っている。
「この吹雪でね、さすがに飛ぶのもしんどくなってきまして。もしよければ風が弱まるまで軒下をお借りしたいんですが」
「そんな」
 ティルダは扉を大きく開いた。
「軒下だなんて、中に入ってくださいな」
「いやいや、そんなご迷惑はおかけできませんから」
 家の中を示す娘に、サンタクロースは笑って手を振った。確かに今夜の彼は多忙だろう。
「でも、身体を温めた方がいいですわ。そのほうがあとの仕事にもいいでしょう?」
 サンタクロースは吟味するような間を窺わせ、それから背後のトナカイを振り返った。白い息を吐いてうつむいている。
「それじゃあ、あの子もいいですか?」
 サンタクロースとトナカイは二人一組で行動する。長年コンビを組む者たちもいれば、毎年相手を変える者もいた。いずれにせよ、大仕事を抱えた彼らは気の合う者をパートナーとし、二人三脚でこなしていく。
「ええ、もちろんです」
 ティルダは快く頷く。子供の頃には彼らに何度も喜びを与えられたのだ。感謝こそすれ、邪険に追い払うなど考えることもできない。かつてのティルダにプレゼントをくれたのが別のコンビだとしても、彼らはみな同じように子供たちのために夜空を駆けているのだ。
「ヴェリ」
 サンタクロースがそのトナカイのものであろう名を口にする。
「お嬢さんのお言葉に甘えることにしよう」
 トナカイは主人を見上げると、ため息を零した。首を振る。主人の意見を拒むためでも雪を払うためでもない。その動作で、彼らは人の姿を取るのだ。首を振る動きに合わせて、ふわりと黒い髪が揺れる。
 トナカイの生態について知識はあったが、その変化を目の前で見るのは初めてだった。魔法のようだとティルダは目を見張る。
 そこに現れたのは少年だった。表情に疲れは窺えないが、寒さのためか頬を赤くしている。二十歳前後だろうか。もとは直毛であっただろう短い黒髪は風に煽られてぼさぼさになっていた。厚手のブラウンのコートに身を包んでいるが、細い身体は吹雪に負けそうにも見える。
「俺は配達を続けても構わないんですが」
 ぽつりと呟く声は生真面目そうにも、億劫そうにも聞こえた。サンタクロースは目元を緩めると、彼の頭をぽんとひとつ叩いた。ティルダを振り返る。
「お世話になります」
「どうぞ」
 大きな袋を抱え、サンタクロースが扉をくぐった。ヴェリがそれに続く。彼は扉の横に立ったティルダを見やった。色の薄いグレーの瞳を向けられ、彼女は目を瞬いた。
「おじゃまします」
 やはりぽつりと。表情も変えずに呟く。ティルダは眉を下げて唇の端を持ち上げた。愛想こそないが、礼儀のある子だ。
「ゆっくりしていってちょうだい」

 温めたワインとキッシュを振るまい、ティルダは彼らと他愛もない会話を交わした。夜空を駆けるのはどんな心地なのか、プレゼントはどのように選んでいるのか、一晩でどれくらいの家を回るのか。子供のころから気になっていたサンタクロースとトナカイの話。思いがけず心躍る時間が訪れて、ティルダは笑みを零す間だけは手紙のことを忘れた。
 このサンタクロースとヴェリは今日はじめてパートナーとして知り合ったらしい。
「でも、珍しいですね、男の子」
 ティルダはヴェリを見やった。
 雄のトナカイは秋から冬にかけて角を落としてしまう。サンタクロースとともに仕事をしているトナカイ、その多くは雌なのだ。この一大イベントにおいて、やはり立派な角を持つトナカイの方が良いという見栄えの問題である。雄のトナカイをパートナーとすることがいけないわけではないが、少数であることには違いない。
「ああ」
 サンタクロースは頷いて、隣に腰掛けたトナカイを見下ろした。ヴェリは相変わらず無表情にしている。会話を聞いているのだろうかと疑いそうになるが、たまに話を振るときちんと聞いていたのだと分かる返事が返ってきた。
「協会のロビーでぽつねんとしておってね、やはり女性の方が好まれる仕事ですしな」
 サンタクロースはそう答えて肩をすくめた。おまけにヴェリは若い。容易く音を上げるようなトナカイでは困るのだ。サンタクロース達が相手にしないも想像できた。
「しかしまあ、真面目そうな目をしていましたからね。実際、この吹雪でよく駆けてくれましたよ。予定より早いペースです」
 おかげでこうやって休みを取っても間に合いそうだと彼は笑った。
 少年は視線を下げる。照れているのだろうか。ティルダは微笑んだ。
「頑張り屋さんなのね」
 ヴェリは顔を上げて首を振った。
「そんなことないです」
 それは謙遜だろう。並の忍耐力では冬の夜空を駆けるトナカイは務まらない。サンタクロースとティルダは揃って双眸を眇める。
「どうしてサンタクロースの手伝いを? こんなに寒いのに、大変な仕事でしょう?」
 グレーの瞳は視線を逸らす。聞かれたくない話だっただろうか。ティルダが話題を変えようかと考えた時、ヴェリは口を開いた。
「ちょっと……、入り用で」
 曖昧な答えだ。ティルダは詮索をしないことにした。
「ああ、年末だものね。私もこの前まで少し仕事を増やしてたのよ。どこも一緒ね」
 そう言って吐息を零す娘をヴェリは見つめた。
 不意に柱時計が鳴り響く。
「おっと、こりゃいかん」
 サンタクロースが額を叩いた。
「お嬢さん、もう寝る時間もとっくに過ぎているでしょう」
 そう言っていそいそと立ち上がろうとする。ティルダは両手で制止する姿勢をした。
「まだ風が酷いですよ。今出ていかなくても」
「しかし」
「いいえ、私ならいいんです」
 ティルダは笑みを浮かべる。
「それにこんな日に一人で、私も手持無沙汰でしたし」
 サンタクロースは己の髭を撫でた。
 かたかたと窓が鳴っている。嵐の夜に娘一人では心細い面もあるだろう。
 それに、留まることは別にしても、雪風を凌ぐ屋根どころか、温かい食事まで施されては何もしないわけにはいかない。
「ふうむ……。お嬢さん、何か欲しいものはあるかね。お礼をさせてくださいよ」
 欲しいものという言葉に、ティルダの脳裏には一通の手紙が過った。しかし、彼女は首を横に振った。
「とんでもないですわ。話し相手になってくださって、こちらこそ感謝しているんです」
「しかし、それでは私の気がすまんよ。仮にもサンタクロースが、恩人にお礼をしないなんて面目がたちません」
 彼はトナカイを振り返る。
「お前もそう思うだろう?」
 ヴェリはこくんと頷いた。その仕草がなんだか愛らしくて、ティルダは目尻を下げる。
「いいえ、本当にいいんです。今夜、誰かと話が出来て良かった。それだけで十分な贈り物です」
 サンタクロースが反論する前に、ティルダはテーブルから空になったカップを集めた。
「お茶を入れてきますね」
 長いスカートを翻してキッチンに駆けこむ娘を見送り、サンタクロースは息をついた。
「やれやれ」
 押し出しの良い体を椅子に沈め、彼は若い相棒を見やった。
「まあ、風が酷いのは確かじゃな。いいかね?」
 休憩時間を長くとれば、体力は回復するが、残り時間も短くなる。だからと言って、配達予定を変更することはできない。
 ヴェリは主人に首肯して返した。
「構いません。時間には余裕があるし、多少の遅れはすぐに取り戻せます」
「うむ。……しかし、どうお礼をしたものか」
 呻いてサンタクロースは目を閉じた。疲れているのは彼の方かもしれない。ヴェリは皺の刻まれた横顔を見つめた。
 視線を泳がせて室内を見渡し、そしてブルーのカーテンを見やる。窓を隔てて、屋外と室内はまるで別世界だった。吹雪の音が遠い。温かい暖炉、真面目な柱時計、漂うワインの芳香、仕事さえなければこのままベッドに潜りこみたいところだ。
 ティルダがカップの載ったトレーを手に戻ってくる。
「あら」
 うたた寝しているサンタクロースに目を留めて、彼女は声を小さくした。
「疲れているのね」
 ヴェリは頷いて、立ち上がった。ティルダが首を傾げる。
「欲しいもの、ありますよね」
 少年の言葉に目を瞬く。先ほどのサンタクロースとの会話のことだと察して、ティルダは苦笑した。
「いやだ、お礼なら本当にいいのよ」
「そうはいきません。俺たちはサンタクロースとトナカイですから」
 子供が相手ならそうだろうが。顔に似合わず冗談めいたことを言う少年だ。ティルダは肩をすくめた。
「確かに欲しいものならあるけど、それも明日か、明後日には手に入る予定なのよ」
 ヴェリは首を横に振った。グレーの瞳を真っ直ぐにティルダに向ける。
「今すぐ欲しいんでしょう。だから待っていた」
 思わず息を呑む。寝る準備もせずに居間にいたのは室内の様子から分かったのだろう。ティルダは持っていたトレーをテーブルに置いた。胴の前で手を組んでうつむく。
「そうね……、そうなの。でも、本当にあなたに頼むほどのことではないのよ」
「ティルダさん」
 聞いている方が切なくなるような真摯な声だ。ティルダは耐えきれずに口を開いた。
「手紙を……、手紙を待っていたのよ。でもこの吹雪だから」
 大きく息をつく。
「ねえ、だから吹雪さえ止めば手に入るのよ。気にしないでちょうだい」
 そう言って顔を上げると、ヴェリが微笑んだ。ふわりと柔らかい笑みは無愛想の印象を覆すには十分だった。
「ティルダさん、聖夜の奇跡を信じますか」
「え……?」
 ヴェリは椅子に掛けていたコートを手に取った。ばさりと羽織る。
「俺、ふだんは郵便局で働いてるんです」
 信じられない。ティルダは思わず両手で口を覆った。
「でも、そんな」
「待っていてください、すぐに取ってきます」
 無表情に戻ったヴェリはすたすたと玄関に向かう。サンタクロースは目を覚まさない。少年はもとより一人で行くつもりだったのだろう。疲れた主人を休ませて。
 ティルダは慌ててヴェリのあとを追った。彼の前に回り込んで扉を塞ぐ。
「あなた、まだ仕事があるでしょう。子供たちが待っているのよ」
 ヴェリはティルダの肩に手を置いた。
「時間なら大丈夫です」
 ティルダは首を横に振る。
「だって、吹雪が」
 やはり言うべきではなかったのだ。真面目な相手だと分かっていたのに。
「平気です」
 それに、と彼は続けた。
「恋人だって喜びますよ、あなたに伝えたい言葉を届けられれば」
 低い声音で囁かれ、ティルダは頬を染める。
「ど、どうして」
「分かりますよ、それくらいは」
 ヴェリは肩に触れる手に柔らかく力を加え、娘を横にどかせた。扉を開けると途端に雪片が舞い込んでくる。少年が首を振ると、角のないトナカイが現れた。若いトナカイは嵐の空へと視線を投げ、すぐに駆け出す。
「ヴェリ……!」
 ティルダの腕は宙を切る。黒い空へと駆け登っていくトナカイの後ろ姿を見上げ、ティルダは白い息を吐いた。
「おやおや」
 声に振り返るとサンタクロースが背後に立っていた。二人の言い合いに目が覚めたのだろう。彼は片手をかざして、すでに見えなくなったトナカイの姿を探した。
「すみません、私のせいで」
「いや、いいんですよ」
 項垂れる娘に、彼は白い髭を揺らして笑ってみせた。
「どうやら思っとったより、強情な子のようじゃな」
 のんびりとした声に釣られて、ティルダは苦笑を零した。
「ええ、本当に……」
 あんなふうに笑うとも思っていなかった。
 サンタクロースのトナカイ、プレゼントを配る主人のために夜空を駆る。今、彼はそりも牽(ひ)かずに一人で走っている。
「あの子が欲しいものってなんなのかしら……」
 風に吹き上げられる髪を押さえながらティルダは呟いた。サンタクロースは首を振り、扉を閉める。
「さて、わしにプレゼント出来るものならよかったんですがね、そういうわけでもないようですよ」
 サンタクロースはその大きな手で娘の肩を優しく叩いた。
「ヴェリが戻るのを待ちましょう。なに、あの子は足も速いし、すぐに戻ってきますよ」

 サンタクロースが言ったとおり、柱時計が次の鐘を打つよりも早くヴェリは戻ってきた。蹄の音を聞きつけて、ティルダは玄関に走った。あとからサンタクロースもついてくる。扉を開けると冷たい夜気が忍び込んできたが、風はもう収まっていた。
 ゆっくりと雪が舞い下りる中、角のないトナカイが空中から地面に降りたつ。
 ヴェリは娘と主人の姿を見止め、すぐに首を振って人の姿に戻った。
「お帰りなさい」
「ご苦労様じゃったな」
 口々に声を掛けられ、彼は眉を下げた。その態度に人見知りをする性質なのだとティルダは悟る。
 ヴェリはすぐに表情を消すと、コートの内側に手を突っ込んだ。白い紙片を引っ張り出す。ティルダの目が釘付けになる。
「あなた宛ての手紙、ありましたよ」
 差し出される指先が赤い。ティルダは手紙ごとその手を包みこんだ。ヴェリがきょとんと眼を瞬く。
「こんなに冷やして……」
「平気です」
 出掛ける前と同じことを言って、ヴェリはティルダの手に手紙を握らせた。ティルダはゆっくりと手紙を裏返し、差出人を確認する。吐く息が震えた。間違いない、待ち望んでいたものだ。
「……ありがとう」
 心の底から漏らされる謝意に、ヴェリは頷く。
 彼はサンタクロースに向き直った。
「今夜はもう吹雪くことはないでしょう。行きましょう」
「うむ」
 その返事に、ティルダはサンタクロースが大きな袋を抱えていることに気付いた。彼は荷物をそりに積み込む。
「戻ったばかりなのに」
 引き止める言葉に対し、ヴェリは首を横に振った。
「ありがとうございます。けれど、もう行かないと」
「でも」
 言い募る娘にヴェリは表情を柔らかくした。冷たいグレーの瞳が優しく細められる。
「子供たちが待っていますから」
 自分が言った言葉を返されたのだと悟って、ティルダは口を噤んだ。ヴェリはティルダに会釈をすると、サンタクロースの側に歩み寄った。
「お嬢さん、今日はありがとう」
 サンタクロースは人の好い笑顔を見せる。
「いいえ」
 ティルダは手紙を握り締めた。
「いいえ、お礼を言わなければいけないのは私の方です」
 サンタクロースは笑顔のまま、娘の手を握り締める。大きな手に包まれて、ティルダは体全体が安堵に覆われるようだった。
「世話になったのはわしらですよ。ありがとう」
 優しい笑顔にティルダは眦に涙を溜める。それから彼女はヴェリを見た。無表情にこちらを見つめるトナカイ。
 尋ねるつもりのなかった質問が口をつく。
「ヴェリ、あなたは何か欲しいものがあるの? そのために働いてるの?」
 娘の問いに、ヴェリは睫毛を揺らした。逡巡を見せてから、答える。
「はい。新年に行きたいところがあって」
 どこへ?とまで問う気は起きなかった。家族のもとか、恋人のもとか、または別のどこかか。どこでもいい。彼の望みが叶えば、それで。
「行けるといいわね」
 彼は夜空を駆るトナカイだ。きっと目的地に辿り着くだろう。ヴェリは頷く。
「はい」
 ティルダは肩に羽織っていたショールを脱ぎ、少年の首に巻いた。冷えた肌を包む人の温もりにヴェリは戸惑う。
「あ、あの」
「持っていって、餞別よ。風邪なんか引いたら、行きたい所にも行けなくなるわ」
 そう言って、ティルダは風で乱された黒髪を撫でてやった。ヴェリが気恥ずかしそうに首をすくめる。
「……ありがとうございます」
 ヴェリは礼を言うと身をひるがえして、そりを牽く位置についた。首を振って四足の姿に変じる。首のショールはそのままだった。サンタクロースもそりに乗り込み、手綱を握る。
「頑張ってください」
 ティルダが声を掛けると、彼は片手を振ってみせた。
「ありがとう、お嬢さん。良いクリスマスを」
 ヴェリが駆け出す。降り積もった真新しい雪に彼の足跡と二本の滑走痕ができ、すぐにそりは宙に浮いた。
 ティルダは大きく手を振った。
「メリークリスマス!」
 ヴェリとサンタクロースがこちらを見下ろす。サンタクロースがもう一度手を振ってくれた。ヴェリはすぐに前方に向き直ってしまったが、そりを牽いている状態でなければ彼はきっと返事をしただろう。ティルダは静かな夜空に消えていく彼らを見送った。
 そりが見えなくなって、ティルダは身を縮めて家の中に戻った。扉を閉め、温められた空気にほっと息をつく。
 彼女は手紙をテーブルの上に置いた。あんなに待ち望んだのに、いや、だからだろうか、今すぐ読むのはもったいないような気がしてしまう。
 ティルダは暖炉の前のロッキングチェアに腰掛け、そこから手紙を見つめた。手紙の向こうには来訪者のために出したカップが置かれている。
 吹雪の音が聞こえなくなった今、薪の音と時計の音だけが室内に響いた。サンタクロースとの会話、ヴェリの笑顔を反芻する。我ながら不思議な時間を過ごしたものだ。
 ティルダは穏やかに微笑を揺らめかせた。
「……そうね、サンタクロースとトナカイからの贈り物だもの」
 夜明けに読むのがいいだろう。
 彼女は立ち上がって、手紙を手に取った。部屋の明かりを落とし寝室へ移動する。
 枕元に手紙を置き、ベッドに腰掛けた。今もまだ空を駆けているだろうサンタクロース達が無事に仕事を終えるように祈りを捧げる。続けて、恋人が心地良く夢見ていることを祈った。
 そうして、ティルダはようやく眠りについた。
 吹雪の夜に現れた若いトナカイに感謝しながら。