トゥワル ストレイア 3

「あ゛!?」
 目の前に広がる光景を見て、シグマは間抜けな声を上げた。
 緑の頭がたくさん動き回っている。
「おい、テリー……」
 青年の呆然とした呼びかけにテリーは首をかしげた。
「こいつらなんだ」
「何って、友達だよ」
 周りにいるのはどれもテリーくらいの子供たちである。七、八人はいるだろうか。
「こいつら全員?」
「うん!」
 テリーが無邪気な笑顔で大きく頷く。
(まさか、これ全部を子守りするのか?)
 シグマはこめかみに手を当てて、ため息をついた。
 ――あの子「達」すごく元気で……。
 そう言ったサッシャの心配そうな顔が頭をよぎる。
「あぁ……」
 思い出して、小さく唸り声を上げる。
 大丈夫だと、もうはっきり言ってしまった。
(いまさら無理だなんて言えるかっての)
「お兄ちゃん?」
 あどけない声が耳を撫でる。
 シグマは大きく息を吸った。
「よし! いつもどこで遊んでるんだ? そこまでかけっこだ!!」
 お守りの青年の声に、子供たちが輝く顔を向ける。
「あっちー!!」
 一斉に指さし、歓声を上げながら駆け出す。
 シグマも子供たちに合わせて走った。
 風のような子供たち。見守る高く青い空。
(すごい)
 走りながら、シグマは胸の奥からたまらない気持ちが込み上げてくるのが分かった。その気持ちは弾けそうなほどに突き上げ、思わずシグマを満面の笑みにした。
(これが……)
 こんな思いをしたのは初めてだった。
 幼い頃から遊び相手は父とそのパーティの仲間。同年代の子供とはしゃいで野山を駆けたことなどなかったのだ。
 シグマはなんとも言葉にできず、ただ涙がこぼれそうになるのを堪えた。

「見ーつけた」
 子供たちと隠れん坊をしていたシグマは、木の上に隠れているのをすぐに発見された。
 普段遊んでいるというところは、シヤンの一歩手前の開けた場所であった。魔物の気配もまったくなく、安全そのものだ。
 シグマは木の枝を両手で掴み、くるりと前転をするとそのまま着地した。見ていた鬼の子から感嘆の声と拍手が上がる。
 同時にシグマの胸元で何かがきらりと光り、鎖の擦れ合う音がした。
「なに?」
 鬼役の少女が興味深そうに顔を近づけてくる。
 シグマは少女の目線の先にあるものに目を落とした。
「あぁ……」
 服の下にしまっていた物が、前転をしたせいで外に出たのだ。それを手の平で覆う。
「あぁん、隠しちゃ嫌。見せてよ」
 少女がシグマの袖を引く。何をしているのかと、隠れていた子供たちもわらわらと集まりだした。
「なになに?」
 好奇心旺盛な子供たちは遠慮を知らない。
 無垢な瞳に求められ、シグマは降参したようにため息をつくと、手の平を開いて見せた。
 銀の光が煌(きらめ)く。複数の視線がそれに注がれた。
「わぁ、綺麗!」
 子供たちが口々に素直な声でそれを褒める。
 青年の手の平には銀の十字架が輝いていた。
 細かい細工が施されており、よほど高価なロザリオだろうが、子供たちにとっては純粋に「綺麗なもの」でしかないようだ。以前、盗賊に狙われた事を思い出し、シグマは苦笑を浮かべた。
 皆こうなら、世の中は平穏に保たれるだろうに。
「ほら、隠れん坊の続きをしよう」
 そう言って手を叩くと、シグマは集まってきた子供たちを再び散らした。そうして子供たちが飽きるまで、正確にはシグマがばてるまで、広場での遊びは続けられた。

「お疲れさま」
 入浴後、窓辺で涼しんでいたシグマに背後からサッシャが労(ねぎら)いの言葉をよこした。
「疲れたけど、いや、楽しかったよ」
 微笑み返しながら、振り向く。
「座ってよ。あなた、どこから来たの? 色々聞きたいわ」
 やや驚いた顔をしたシグマに、サッシャが困ったような笑みを見せる。
「旅人なんでしょう?」
「あ、あぁ」
 シグマはしどろもどろに答えながら、椅子に腰掛けた。
「ねぇ、どこから来たの?」
 サッシャが向かいの椅子に座り、興味深そうに身を乗り出す。シグマは内心そっと肩をすくめた。
(テリー達と血が近いのは確からしいな…)
「生まれたのはロムデルクだけど、ずっと旅ばかりだから」
「親御さんも旅人なの?」
 そう尋ねた途端、シグマの瞳が翳(かげ)るのを、巫女は見た。
 黒い瞳は悲痛だ。
「シグマ?」
 名前を呼ばれて、びくりと青年の肩が跳ねる。
「あ……」
 まるで悪夢でも見ていたかのように、シグマは真っ青だった。
 サッシャが驚いて、椅子から立ち上がり近づく。
「どうしたの? 気分でも悪いの?」
「いや、なんでもない」
 シグマは弱々しく、首を振って見せた。
「大丈夫、大丈夫だよ」
 それはサッシャに向かって発せられた言葉だったが、まるで自分に言い聞かせているようだった。
 サッシャはそっとシグマの肩に触れた。
「無理をしないで。力を抜いて」
 優しい声に従い、シグマは睫毛を伏せた。
 ゆっくりと、静かに息が吐き出される。
 シグマが落ち着くのを待って、やがてサッシャは静かに口を開いた。
「私、聞いてはいけない事を聞いたのかしら?」
 シグマが首を振る。
「何も……」
「無理に押し込めてしまおうとしないで。吐き出してしまうといいわ」
 シグマは苦しそうに眉を寄せた。
「言えば、君は俺を軽蔑する」
「そんなことないわ」
「あるよ」
 沈黙が二人を包み、夜風だけが静かに吹いた。
(どうして、この人は……。そう、だからこそシヤンが導いたのね)
 思い当たり、サッシャは青年の頬に触れた。
 シグマが驚いて引く。
「大丈夫よ。あなたは素敵な人よ。テリー達の事もお守りしてくれたじゃない」
「それくらい……、だれだって……」
 シグマはうつむいた。
「子供たちと遊べる人に悪い人なんかいないわ。それにテリー達は悪意のある人間に敏感に反応するのよ。シヤニィの子供はみんなそうなの。……だから、あなたは善い人よ」
 辛抱強く語りかけてくる少女の声。シグマの脳裏を優しい母の笑みが過ぎる。
 少しの間があった。ゆっくりとシグマが口を開く。
「……俺は別に尊敬とか、そういうのを欲しかったわけじゃないんだ」